プライベートでも、仕事でも、色々な人と接していると「この人は凄い人だ」という一般的な定義が、少し偏っているように思う。
誤解を招かないように予め断っておくが、私自身は「世界進出」や「グローバル化」というコンセプトは大好きだ。あえて「好き」という表現を使ったのは、グローバル化が常に良い訳ではないこと、弊害ももちろんありうるということを念頭に置いた上での肯定表現だからだ。
少しずつ貯めていた100万円だけを持ってイギリスへ2年間留学し、現地で自力で探したアルバイトをしての生活。最初の1年間は日本人との接触を完全に断って必死で勉強した。
一般的な意味での世界進出に関しては、単なる憧れやイメージだけで好きだと言っているわけではなく、自身の体験なども加味した上での好きだ。
仕事ができる人ってなんだろう
「凄い人」や「できる人」は世界をまたにかけて働いている。というイメージが日本人には確かにある。逆説的に、「海外出張をする人」=「できる人」という漠然とした定義が定着しているように思う。
実際にニュースなどを見ていてもその傾向は強い。しかし昨今叫ばれている、日本沈没論や後退論に呼応するように、日本の技術は今でも素晴らしい。色々調べた結果日本が最高だった。というような意見も増えてきている。景気後退局面には右よりの意見が強くなるのは世界共通であり、それ自体は何も驚くことはない。
私がこれら全ての意見を視野に入れた上で、なおかつ個人的好みを排除した見解では、やはり日本だけにこだわっていては駄目だと思う。ただし、「できる人」=「海外にでていく」ということには一部異論がある。
できる人はおそらく、同じと考えている。海外だからどうとか、国内だからどうとかをあまり区別していないのではないだろうか。
海外と国内の違いはもちろんある。文化も違えば風土も違う。そういう意味での区別はあってしかるべきだし、むしろ敬意を払うべきだろう。しかしそこに障壁を感じる必要はない。
留学関連の話として、「留学先で日本人とばかり遊んで意味がない」という話もよく聞くが、移住もしくは仕事となると、日本人だろうが現地人だろうがかまわないと思う。日本語を全く喋れないまま、家族ごと日本に移住して、中華街や外国人街を作り、そこで新たな世界を生み出す。これも1つの方法だ。現地に溶け込むばかりが正解だとは言わない。
国境は心の中にある
海外の障壁に関して、Web上で日本国内のみにこだわる意味はここへきて皆無だといえるだろう。
言葉の問題をクリアして、もしくは言葉の問題を無視してしまえば、インターネット上に国境はない。
日本語だけでも海外向けサービスは成り立つし、もちろん現地語にできるのならなお良い。
実際に移住となると、家族、親戚、色々な問題がでてきて、本人だけの意向ではどうしょうもないことも多いが、Web上ならば何も障壁はない。勇気も必要なく、大きな資金も必要ない。
海外を、思い込みだけで遠い世界にしてしまわないよう、小さな一歩をWeb上で初めてほしい。思っている以上に簡単で楽しいはずだ。
制作実績にも載せてあるが、弊社は、業暦も浅くコネもパイプもなく、現地語も全く喋れない。
しかしながら、コンセプトとサービスが優れていることが認められ、オランダのメーカー、韓国の電力会社とも取引していただいている。
相手国からすれば海外にあたる日本での事業を、お手伝いできていることを誇りに思っている。