実現性なき独創性に意味はなし

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偉人の格言を自分なりに落とし込んでいこう

ある特定の何かを成し遂げた人、もしくはその生き方において認められた偉人達。その偉人が述べた言葉には説得力がある。

そんな偉人達の言葉を、本来の意味にこだわることなく、自分なりにどう受け取るのかを書いてみる。

 

チャップリン

行動を伴わない想像力は何の意味も持たない (Imagination means nothing without doing)

原文では「想像したことは実行しないと意味ないよ」に近いかもしれない。

自分が何かをしている時に「それってこうしたら良いんじゃない?」と言ってくる人はたくさんいるだろう。逆に人のやってる事に「こうすればうまくいくよ」と言うこともある。
こう言われた時に、英語ではこういう返事をする。 "Mind your own business!" 「ほっといてくれ」だ。

話を聞いてもらうだけ、雑談をしてるだけの場合はそれでいいのだが、“口だけ番長”になってる場合も多い。

自分も、ついつい外交のニュースなどを見ると「あんな国にはもっと強硬姿勢でいかなきゃいかんよ」とか言いたくなる。
自分には自分の考えがあって、その方がいいと思ってるのだが、実際外交する立場になったらもちろん同じようにはできないだろう。

このチャップリンの言葉には、私にとっては
「やってもないのに、できもしないのに偉そうな口を叩くな。」
という意味も含んでいるし、逆に、
「いい案が浮かんだら実行してみよう。その方がきっと楽しい。」
という意味も含んでいる。

発想力、想像力、独創性、オンリーワン、アイデア、言葉は様々だが、行動が伴わないものは、すべからく全て意味を持たない。

 

本田総一郎

挑戦して失敗することよりも何もしないことをおそれよ

自分なりにはこう考えている。
自分が歳をとって死ぬ時になって、後悔するとすれば何だろうか。多分「あれをしなければ良かった。」ではなく「あれはやっておけば良かった。」だと思う。

実際には、死ぬ時になれば、おそらく「ああ俺の人生、総じて楽しかった。」と思えるだろう。
人生は8割がた嫌な事ばかりかもしれない。自殺を考えるほどつらい事もたくさんある。だが、遠くから客観的に冷静に眺めると「なかなか良かった。」と思えるものだと思う。

ただ、だからといって「あれをやりたかった。」と思う事が1つもないわけではないだろう。
俗っぽい事を言うと「宇宙旅行に行きたかった!」などと思うかもしれない。

今までも、そこまで豊かな、波乱万丈の人生を生きてきたわけではない。今までの人生を振り返って失敗したこと、本当につらかった事もあった。
だが、やりたいと思ってやったことの結果は素直に受け入れ、受け入れた上で、「あれがあったから今がある」と思えているのは間違いない。

挑戦の失敗とは、結果が伴わないことではなく、何もないことだ。

平穏無事で何もないのが一番だと言う人もいる。世の中には色々な意見があってしかるべきだが、この意見にだけは私自身の人生を重ねるならば、微塵も同意できない。

誰かと入れ替わるとしたら?と尋ねられて、普通のおじさんと入れ替わりたいと心底思える人もいるのかもしれない。だが、私なら誰を選ぶにしても偉人や歴史上の人物を選ぶだろう。

 

坂本龍馬

格言ではないが、坂本龍馬は、非常に独創的で、なおかつ行動力も伴った人物であることに疑う余地はないだろう。

独創性は、「非常識」「自分勝手」と言われることがしばしばある。世間からの「非常識」の評価は孤独を伴うし、だからといって、独創的であれば必ず偉大・強大・有名になれるわけでもない。

そんな中で独創性を貫くものは、「開き直り」や「世間への反感」ではなく「確固たる意志」「自分をポジティブに信じる信念」と、「その気持ちを持ち続ける断固たる一貫性」にあると思う。

断固たる意志、一貫性は、一見すると応用が利かない頑固者だと思われがちだが、強い信念と柔軟な姿勢は両立しえるはずだ。

坂本龍馬も強い信念を持っており、頑固な部分も多々あっただろうが、時代や周囲の状況に合わせて柔軟に、まさに雲のように人生を切り開いていったのではないだろうか。

 

最後に

偉人はある分野で偉大な業績を残した人だが、偉人=素晴らしい人物 とは限らないと思う。

偉大な芸術家が、家族を全く大切にせず、周囲の人をことごとく不幸にした例もあるだろう。偉大な学者が、自分自身すら不幸にし、自ら命を絶った例も多くある。

偉人=正解。なのではなく、あくまでも、自分が生きていく上でのエッセンスとしておきたい。

共感できる部分、共感できない部分があっても当然なのだから。