想像してほしい。仕事は休み、家族も長期で旅行へ行ってしまった、家事や予定も特になし…。
友達に電話してみたり、ぶらっと出かけたり、TVをつけてみたりするのが一般的な行動だと思う。一般的には暇つぶしや時間つぶしには、消費を行うことが多い。生産をして暇つぶしをする人は少数派だと思う。
生産的な時間ってなんだろう
人生における、消費と生産の定義には諸説あるだろう。
友達と電話をすることは、一方では電話、通話サービスを利用するという"ユーザーの立場"であり、消費に属する。しかし、会話によって自分に何か新しい閃きを与えてくれる生産的な活動、とも言えるかもしれない。
話を単純にするために、お金または時間を使って得るものがない(得るつもりがない)事を消費、何かを得るためにお金または時間を使うことを生産としておく。
例えば趣味でプラモを作ることが消費か生産かを考えてみると結論は難しい。結局は行為そのものに定義が付随するのではなく、本人の考え方次第だろう。プラモ作りをステップアップさせ、何かを得るためにやっている人がいたとしたら、それは生産的と呼べるかもしれない。
一般的に言う暇つぶしと、"暇な時間"を作り出す事
話を戻して、時間が空いた時にすることのほとんどが消費になる。"自分の消費"の準備は自分以外の誰かが用意してくれている。自分はそれを利用するだけでいいのだから苦労もなく、嫌ならやめればいい。そもそも時間つぶしなのだし、元々はそこに価値はないと言える。
時間が空いた時に生産を行う人というのは、生産のための準備をしておかなくてはならないし、積極的な人は、自ら空き時間を作ろうとするだろう。ここに大きな差があると思う。
余暇も休憩も必要。これは至極当然のことなのだが、余暇に生産を行う人もいる。その人はそれが好きで、生産していることで時間をつぶす。
学生の間はまだいい。義務と課題を常に与えられ、嫌々でも生産的なことをする必要があるからだ。しかし社会人になり5年もすると必ずしなければならない事の99%はルーティンになる。そしてチャレンジングな義務と課題は少なくなり、"作業"が人生の多くを占める。
生産を楽しめたらどれだけいいだろう
仕事で生産的な事、チャレンジングな事をしたいと、5年ごとに転職を繰り返す事は、残念ながら日本社会の成熟した大人(中高年)にはそぐわないと言わざるを得ない。なので、余暇でそれをすることをお勧めする。
余暇ならば人生を賭ける必要も、リスクを背負う必要もない。そもそもが趣味だったり暇つぶしだったりなので結果として実にならなくても問題はないわけだ。
ただ、生産的な事を続けていると必ず何かの形になったり、他の人よりも人生を満足しながら過ごせる場合が多いであろう事に関しては自信をもって「確信している」と言える。
もちろん人に強制する事はできない。
だが助言を求められるならこう言うだろう。
暇潰しを消費に費やすことをやめてみよう。
そう言われてもやりたい事がないと言うならば、まずは自分にルールを決めてそれを続けてみるといい。
時間がないという人はスマホでニュースを読む時間を減らして、自分でスマホニュースを書いてみてはどうだろうか。
指笛の練習、皿回しの練習…どんなくだらない事でもいい、人生を、消費から生産へとシフトしよう。