東大生の5割が勉強机のない家
ある日友人がこんな話をしていた。
「アンケートで、東大生の5割が勉強机のない家庭で育った。食卓ってみんながガヤガヤしてるから、そんな環境で勉強することが結果的に集中力をアップさせるらしい。」
成功者は黄色い財布を持っている?年収は財布の値段の200倍になる?
本屋のレジで待っていると、こんな感じのタイトルが目に入った。
カリスマ税理士(なんだそりゃ?)が教える!年収は必ず財布の値段の200倍になる。
また、よく言われる、黄色いものは金運をアップさせるから、黄色い財布を持ちなさい。と。
お金持ちは先祖を大切にする?
年末に親にこう言われた。
「この間TVで言うてたけど、お金持ちは必ず先祖を大切にしてるねんて。あんたもおばあちゃんとか大切にしてるからお金持ちになれるわ」
これって勝利の方程式?
上記の3つの例は、全て本当かもしれない。根拠のあるなしに関わらず、データは嘘ではないかもしれない。だが、そのデータの意味するものが勝利の方程式だとは限らない。
東大生は、一般的に言って学業の分野において、その時点では成功者と呼べると思う。東大出たからどうという事もないかもしれないが、東大を出ていないと、出来ないこと、なれない(なりにくい)職業も数多くあるのもまた事実。
ではそんな成功を収めた学生達の5割が、幼少期を勉強机がない環境で過ごし、気が散る環境で勉強することによって結果として集中力を獲得したのだろうか。
答えはNoだ。
両親の努力、そしてなにより本人の努力があって東大に入れたのだ。今から小学生の息子の勉強机を捨てて食卓で勉強させても、東大には入れない。
一番の落とし穴は東大生以外の子どもの勉強机保有率のデータが示されていない事だろう。
これは一般的なプレゼンにもよくある落とし穴で、提示されたデータが真実であったとしても、それが全てだとは限らないし、プレゼンの内容が真実だとも限らない。
いきなり話は飛ぶが、アクセス解析のデータは真実でも、そこから導き出される、あるいは例示される改善策が正しいとは限らない。
データと考察は全く別の領域であることを忘れてはいけない。考察は言わば思い込み。正しいデータは所詮、思い込みの精度を上げるため"だけ"のものなのだ。
成功者は黄色い財布を持っている、もしくは自分の年収は財布の値段の200倍という話は、そもそも嘘くさいが、仮に本当だとしても同じことで、財布を高価な物に買い換えたら年収がアップするわけではない。
買うなとは言わないが、他力本願、もとい物力本願で
「財布買ったからあとは年収アップするのを待つだけ」
となっては意味がない。
「縁起物も手に入れた。後はひたすら頑張ろう」
となるなら、いいのかもしれないが…
ただ、縁起物を手に入れなくても頑張れよ。と思わないではない。
お金持ちは先祖を大切にするから、先祖を大切にすればお金持ちになる。これは単なる曲解に過ぎない。
事実はこうだ。
お金持ちは先祖を大切にする。それは大切にすべき先祖がいるから、つまり先祖の残してくれた地位、財産、才能、親が施してくれた教育が、お金持ちになる、お金持ちでい続けられる重要なファクターだという事。
そこに感謝の気持ちが生まれるのは当然の事だ。
私も、祖父母、両親には感謝している。金銭的には全くの凡人だが、幸せに生きていられるのは先祖のおかげだとも思う。それは私にとっては自然な感情だ。
逆に親に虐待されていたり、ギャンブルで借金を作った親がいて、その親を憎むのも、また自然な感情だ。
それが良いのか悪いかではない。ただただ"それが当然"という事だ。
先祖を大切にすればお金持ちになれるわけではないし、お金を持てばある日突然見も知らぬ先祖を大切に思うわけでもない。
先祖が残した地位、財産、才能がないのなら、自分が"将来、子孫から尊敬されるに値する人物になれるよう"に心がけねばならない。
正しいデータと、正しい事実
データと事実は似ているようで全く違う。正しいデータを持っている人間が正しいわけではない。正しいデータは精度を上げる道具だし、人を納得させる道具だ。それ以上にはなりえない。
データ量が増え、データの正確性が増せば精度はもっと上がるし、人はもっと信じる。だか、それだけだ。
最後に
東大生の勉強机率、お金持ちの財布、先祖を大切にする人たち、全て包括して言えることだが、ある分野での成功者は、下らないTVで言うことや、どうでもいい本に書いてある事を見て自分の行動を変えることなど無い。
そもそも、そんなTVや本に自分の貴重な時間を割くことも無い。
これだけは断言できる。
逆に言えば、"成功者の秘訣"に時間と気持ちを浪費しないことこそが"成功者の秘訣"かもしれない。
Yuya