いつ死んでも幸せであり、あなたの人生は成功している

with コメントはまだありません

いきなりだが、あなたは人生の成功者だろうか?

殆どすべての人が人生における成功を目指しているにもかかわらず、成功だ!と即答できる人はわずかである。お金持ちになること、幸せな家庭をもつこと、働かないで暮らすこと、趣味を極めること、成功の定義は各人によって違うし、複合的な場合も多いため書き表しにくい。そんな、一見ややこしい人生の成功について考える。
お前ごときが何を偉そうに、と言われそうであるが、私見として自由に書くことを許してほしい。

人生のピークはどこか?

人生が成功したかどうかについて書く前に、人生のピークについて考えてみたい。
ピーク、あなたの人生で一番幸せであり、(自分の中で)最も優れている時はいつだろうか。
資産的にも豊かで家族と子供がいる40代?
可愛い彼女と大恋愛した20代?
何不自由なく趣味に没頭しゆったりと暮らす60代?
大好きな仲間に囲まれ遊びまわった学生時代?

ここで特定の過去の時期を思い出した人は今人生を下っているので注意されたい。
つまり、「過去に」ピークがあり、今この時はピークを過ぎ去ったあとの消化試合である。

想像してもらいたい。自分の人生はすでに下り坂であり、「あの時」よりも楽しく幸せであった時はもう来ないのである。
これからもっと幸せなことがあるかもしれない?そうかもしれない。でも、無いかもしれない。未来の事なんてわからないのである。
これからもっと不幸になって、楽しくなくなって、過去ばかり振り返って生きるかもしれない。
今過ごしているこの時間が余韻であり消化試合であり蛇足であるかもしれない。

そんな残りの人生を過ごすのは御免である。

ピークはどこにあるべきか?

過去にあるピークを否定したならば、ピークのあるべきところは現在か未来という事になる。未来にピークがあるのかどうかについて言うと、あるべきではない。
その特定の未来の時、例えば10年後がピークであるならば、11年後のあなたは下り坂にいるからである。(そしてそもそもその未来が来る前に死んでいるかもしれない)

つまり、ピークのあるべきところは今現在しかないのである。
ぼろアパートに住んで牛丼を喰らっている今がピーク?冗談じゃない。
大丈夫、今から述べる理論で生きるならば、あなたの人生は日を追うごとに良くなるからである。

右肩上がりの人生を

今がピークの人生、昨日よりも今日が良く、今日よりも明日が良い人生(明日が来たならば)。
このような人生を送らない限り、あなたの今は消化試合になるのである。(何て厳しいのか)

「人間いつ死ぬかわからないから、今を一生懸命生きよう。」
これまでに何回も見た、色んな人が使っているこの言葉、どうにも響かなかったのである。
なぜなら一生懸命生きなくても今日は来ているし、死にそうになった事もないし、サボっても頑張っても当たり前のように明日がやって来ることに慣れてしまったからである。

この響かなかった言葉、最近自分なりに理解するようになった。
「今日を一生懸命生きろ」と言われても「何を頑張ったらいいの?」という気持ちだったが、昨日よりも幸せに生きろと言われたらそれは出来る気がする。

言葉遊び?いやいやしっくりくるかどうかは大事な問題である。

今この瞬間を消化試合にしたくない。だから右肩上がりの人生を送る。私の人生は常にピークで常に幸せである。

人生の成功とは

さて、長々と書いたピークの話。本題はというと、、、人生の成功についてであった。
あなたは多くの人と同様人生を成功させたいと考えているであろう。

人生の成功は何なのか?
最高に幸せの状態で死ぬこと。これを私の意見としたい。
どんなに低レベルの幸せでも、どんなに人から見てつまらなくても、過去最高に死ぬ間際が幸せ。
ああ、俺の人生はなんて幸せだったのだろうと思えるのではないか。

最高の状態で死ぬには、今現在が幸せのピークであればいい。明日が来たなら、明日がピークであればいい。
そうすればいつ死んでも幸せであり、あなたの人生は成功している。

ベルギー発パリ行きのバスの中から Ishino