仕事でも遊びも趣味も本気でやるのが好きだ。
先日、友人の結婚式で流すムービー制作を頼まれ、無事成功させることができた。
何ヶ月も前から時間と手間をかけ、非常にクオリティの高いものを作ることが出来たので、個人的に満足している。
その際に、多くの友人と話す機会があった。
撮影に協力してくれたのは大学の友人が多かったこともあり、彼らの多くが社会の上の方で活躍している人間だ。
「なぜ余興のためにそこまでするのか」と動機(原因)をしつこく聞いてくる人もいれば、「わざわざ遠方まで撮りにくるのが凄い」と称賛してくれる人もいた。
僕は単に自分が作りたいものを作っているだけなのだが、人によって色々な捉え方があるものだと思った。
個人的な感覚だが、仕事に全力で向き合っている人ほど、遊びも全力で楽しむという姿勢の人が多い気がする。
(某青いメガバンクでは、新人歓迎会の出し物で、社員と役員全員でAKB48の恋するフォーチュン・クッキーを完コピしたそうだ・・・)
また、逆に「もっと妥協して簡単にできるやつの方がいい」「たがが余興にそこまでする必要はない」「時間がかかりすぎて無駄だ」と屈託のない意見を述べてくれた人も多くいた。
ビジネスは効果的・効率的かつ論理的・合理的に
ビジネスであれば、確かにその考えが正しい。
ビジネスは投資なのだから、費用対効果が何よりも重視されるべきだ。
リターンの望めない投資にリソースを費やすべきはないし、無駄なリスクは取るべきではない。
何よりも数字が優先されるべきで、リスクをギリギリまで計算した上で、アクセルを踏むのか。
最終的な決断だけをパッションで行うのが理想だ。
しかし、プライベートは必ずしもそうではないだろう。
論理的に判断するということは、感情を無視するということだ。
割の良い人生が、必ずしも最高の人生ではない。
仕事上の問題は、「正しいか・正しくないか」で判断するべきだが、プライベートでは「楽しいか・楽しくないか」で判断した方が良いというのが僕の哲学だ。
ゴールへ向かう最短の方法を1つ知っている人より、ゴールに至る100通りの遠回りの道を知っている人の方が面白い人間だと感じる。
プライベートは非効率で、非合理的な方が楽しいこともある。
一見、無駄な労力を費やしたものが、多くの人の感動を呼ぶこともある。
大切なことは、自分の感情に素直であることだ。
クオリティファースト
ただ、仕事にもプライベートにも共通して言えるのは、「質が何より重要」ということだ。
質を高くするためには、「他の人間が歯が立たない圧倒的なレベルで本気の準備ができるか」これに尽きる。
「気持ち」なんていうものは結局クオリティにしか宿らない。
自分の「思い」の強さは結果を出すことで証明するしかない。
評価というものは第三者にされることの方が多いが、そうでなくとも構わない。
質の高い準備をして、結果を出しさえすれば、誰にも文句を言われることはない。
自分の価値は自分で決めればいい。
偉そうなことを書いているが、僕は30歳を前にして、最近ようやく自分のやりたいことがぼんやりと見えてきたレベルだ。まだまだ実力が足りないのは自覚している。
世の中に価値のあるものを残せるよう、更に努力していきたい。
Teppei